随に

まにまに

機嫌の話

 

お腹が減ると、機嫌が悪くなる。

なんと短絡的。しかし、本能であり、生き延びる術でもある。

 

割となんでもすぐに我慢をするたちなのだが、我慢のしすぎで後から爆発することも多いため、30年くらい生きてみた辺りだったからか、「我慢しない」という選択肢を選べるようになってきた気がする。それも意識して「我慢しない」をやらないとできないのだから、染み付いたものは強固だ。

 

最初は夫も「そんなにおやつ食べたらだめだよ」と釘を刺していたが、空腹時のわたしの不機嫌さを目の当たりにして、出先などでは「お腹空いてない?」と気にかけてくれるようになった(少し申し訳ない)。

 

空腹以外の不機嫌もある。

理由があったり、あっても些細なことだったり、なぜなのか自分でもわからないことも、よくある。

そして、それらの場合、恐ろしいことに「空腹が満たされれば治る」類のものではないのだ。

「治る」きっかけをつかめずに、だらだらと、眠る時間まで続くことも珍しくない。

「自分の機嫌は自分で治す」という言葉がある(?)が、わたしは全くもって、それができない。

できない自分がみじめで、さらに自己嫌悪のループへと嵌っていく。さながら沼のよう。臨床心理士の人は「嵐」と表現していた。

わたしは、この沼とまだうまく付き合えていない。重症化した時は処方してもらった薬を服用したりもした。しかし、根本のところで、わたしの何かが変わらないと、この沼はわたしの側に居続けるだろう。

 

夫と共に過ごすようになって、救いのない暗闇よりはマシになった。それでも体感で一二割減くらいだろうか。(これも、心配し気遣ってくれている夫には本当に申し訳ない事実だが)

夫がいる、というろうそくの灯りのような希望に照らされつつも、この不機嫌や自己嫌悪との闘いは自分にしか対峙できない問題であることも認識している。

他人にどうこうしてもらう類のことではないのだ。

 

 

それでも、空腹時の危険を回避するために、適切な時間に食事を摂り、イライラせずに満たされた気持ちで電車のつり革につかまっていると、「うまいこと対処できた」と安堵し、少しの達成感を得られる。

何せ、精神状態が酷かった時は、電車で座れずに泣いていたのだ。たかだか4〜5年前の話だ。

 

そういう微妙なバランスの上で生活し、ストレスを感じやすくもあるので、妊娠しにくいのかもしれない。(ストレスから解放されると妊娠した、という話もよく聞く)

 

不妊治療は一ヶ月に一度しか進退が決まらないので、そのほかは気ままに雑感を綴っていこうと思っている。

というのは建前で、本やひとの文章を読んでいたら触発されたのだ。書きたいな、と。