随に

まにまに

もろもろのこと

 

今回の入院に至るまでも細かいことは色々あって、何度かツイッターに書こうかと思ったけど、中途半端になりそうで都度やめておいた。ツイッターなんか、中途半端上等!って感じだけど。まじめだなあ。

 

確か、もう心臓が稼働してるはずの7週で心拍確認できなくて「最悪、流産」と言われ、二週後の検診で卵黄嚢は無くなり、胎芽も目に見えて小さく薄く儚い像しか結ばず、今後二週間で出血しなければ(出血しても残留物があれば)手術、ということになり…だいぶ「待ち」の時間が長かった。

入院した時点の資料に「11週」と書かれており、もうそんなになっていたのか、と8週辺りで週数追うのをやめていたので、少し意外だった。トイレに貼り出した妊娠週数カレンダーも見るのがつらくて、7週くらいで外した記憶がある。

 

子宮内に胎嚢(赤ちゃんが入る袋)があると、妊娠しているというホルモンが分泌され続けるらしく、赤ちゃんの生死に関わらず、手術するまでつわりは続いた。術前最後の超音波診断では、胎芽は消失しており(「赤ちゃんは小さくなったりするんですか?」と尋ねると「吸収されたりして、小さくなることもある」とのこと)、胎嚢の形も崩れ始めているとの診断だった。

赤ちゃんは、わたしの中に還ったのかなあと思った。(最終的には血栓感染症のリスクがあるため、子宮内に残っている胎嚢他残留物は除去する手術をした)

 

打たれ弱い自覚はあるので、メンタルがぼろぼろになるのをある程度覚悟していたものの、流産の可能性を示唆された受診当日、翌日に泣いたり色々とあったが、次の受診日までは待ったなしの家事育児仕事に追われて考える暇もあまりなく、担当医が変わって「絶対、流産だね」と宣告(そんな言い方するんだ…とびっくりした)された日も涙を流しながら昼ごはんを食べたけど、やはり入院当日までは日常を過ごした。

入院中も出産直後の産婦さんと同室になったりして、「これは…メンタル来るか?」と身構えたものの、割と早く別室移動になったからか、心にさほど強い波風は立たず、術後の診察待ちの時におそらく近くの分別室から産まれたての新生児の力強い、生命を振り絞って出す泣き声が聞こえてきて、生と死がこんなにも隣り合わせなんだなと感慨深くなったりもしたが、自分でも拍子抜けするほど、メンタル総崩れになったりすることはなかった。

 

帝王切開ですら部分麻酔なのに、腹切しない流産手術で全身麻酔をかけるのはメンタルが不安定になって術中に危険なこともあるからなのかな?と勝手な推測をしたり、人生初の全身麻酔は瞬きをしてる間に終わってびっくりしたり。眠くなる点滴をしたのにそれほど眠気が襲って来なくて「ほんとに大丈夫か??」と疑っていたけど「少し眠たくなってきたかな〜」から「終わりましたよー」までが、一瞬だった。手術台の上で目が覚めてからは意識も割とハッキリしていて、全身麻酔…これが…?と驚く。

麻酔医の方が適量を投入してくれている(?)からなのだろうけど、本当に術中だけ意識が無くなって、魔法なのかと思ってしまうくらいだ。

 

手術前日の深夜に同室のおばあちゃんの時計のアラームが鳴り響いて眠れなかったりもしたけど、術後はよく眠れたし、何より1ヶ月半続いていたつわりがなくなって、すっきりした。

赤ちゃんが生きている間のつわりは「生きてる証拠…」と思えるが(思えないくらいしんどかったりもするけど)、既に亡くなっているのにつわりが続くのは何とも言えないモヤモヤを伴うものだった。人体の不思議。体や脳は、まだおなかに赤ちゃんがいると認識して、つわりを継続する指令を出していたのだから。

 

術後の診察によると、約1ヶ月後に生理が来るらしい。不妊治療をするなら、2回生理が来てから、とのことだった。今回、たまたま初めての自然妊娠だったのと、仕事と育児をしながらの治療を続けられるのか?という大きな壁を感じて、治療には二の足を踏んでいる。これは中途半端な決断では進められない。まだ不安を感じている。

 

折良くと言ったらおかしいが、年末を迎える。

一年の中で一番好きな季節だ。そして年を越したら、一区切りつけられるだろうか。

色々なことがありすぎた一年、忘れられない年だった。

来年は、そのあとは、また違う新しいことに巡り逢えますように。