随に

まにまに

稽留流産

 

入院するのは、出産以来だ。

今回は残念ながら出産に至らなかったため(「誕生死」とも云うらしい)、母体の今後のためにも子宮残留物(と呼ぶのに抵抗がないわけではないけれど)を除去する手術をするための入院だ。

 

流産は妊婦の1割強が経験するとか、妊婦の5〜6人に一人は流産経験があるとか聞いたことはあったし、実際にそれを恐れていたが、事実この身に降りかかるという体験を現在進行形でしていて、さまざまな感情が湧き起こったり、流産かもと言われてから数週間も経つので感覚が麻痺したりもしたが、割と段階を踏んで受け入れられたような気もする。

 

今年は誰にとっても何某か辛いことのある年だったと思うが、身内でも様々なことが起こり、最後の最後に家族に喜ばしい報告ができたらいいなと考えていたので、落胆した。入院して誰にも会えないばあちゃんに、良いニュースを伝えたかった。

 

総合病院で診てもらっていたので、流産の確率が高いとわかった後の待合室で新生児の泣き声が聞こえてきたときは涙を堪え、女性専用病棟で満床になったからか大部屋で出産直後の方と同室になり「おめでとうございます」と口々に言われているのをカーテン越しに聞くのは、何とも言えない感情を生んだが、耐え切れないことではなかった。

 

病院で生活していると、生まれて初めて入院した出産時のことを何度も思い出した。

本来受けるはずの入院のための母親学級の日よりも早く破水してしまったため、個室であれば電話がかけられることを知らずに必死でLINEによるやり取りをしていたこと、正期産に突入していないからと母親になるための最後の心構えも何も準備できぬまま、自分しか子を産むことはできないのだと腹を括って帝王切開に挑んだこと、それまで妊婦として周囲からあれこれと気を遣ってもらっていたのに子がおなかから出て行った途端に「母親」という巨大な責任を負う人間に変わったこと、授乳に慣れず母乳もあまり出ず、赤ちゃんに飲ませようとしてもすぐに寝てしまうため、次の授乳まで1時間でも連続して眠れたら良い方で、真っ暗な夜中に朝日の差し込む早朝に絶望的な気持ちで授乳室に向かったこと。看護師さんや助産師さんが至れり尽くせりで良くしてくれたこと、寝不足と痛みと責任感と生命の重さと上手くいかない授乳ともうごちゃ混ぜの中で助産師産を前に泣いたこと。退院したらこの手厚いサポートが受けられなくて不安しかなかったこと。

 

よくやった、よくやってきたよ。

朝一番遅く起きてきて、出来上がったあったかいご飯を食べて出て行き、夜中に帰宅して翌日も仕事があるからと夜泣き対応はこちらで一手に引き受けて、週末やっと二人で面倒が見られるとホッとしていると庭で作業を始められた日には何度陰険な雰囲気になったことか。

よく耐え抜いた。

だから今、ここによく寝てよく食べ(偏食だけど)よく笑ってくれる子がいる。

誇りという他ない。

 

なので、また、この子にいつか、きょうだいができたらいいなと願っている。