栗の話
実家に帰ったら、父がわたしのために、大好きな栗を茹でてくれた。
ほくほくパサパサしたものが好物で、芋・栗・かぼちゃとはよく言ったものだと思う。
茹でたての栗は、うまい。
香り、あたたかさ、ほどよく水分を含んだ薄黄色の実。
いくらでも食べたくなるが、大人になったわたしは知っている。
これを食べ過ぎると、おなかの調子がおかしくなってしまうのだ。
自制心を働かせ、4〜5個にとどめる。
残った10数個の栗を帰りに持たせてくれたので、早速毎日ちびちびと食べることにした。
月曜日。
冷蔵庫で冷やしておいた茹で栗を、半分に切ってスプーンですくって食べる。すくうというと上品だが、正直なところ「ほじる」というのが正しいだろう。
冷えていてもおいしい。栗よ、ありがとう。
火曜日。
今日もスプーンで栗をいただく。
食べ終わる頃になって、会社の人が「茹で栗をトースターで焼くと、おいしい焼き栗になる」といっていたことを思い出す。それだ。魅惑の焼き栗。楽しみがひとつ増える。
水曜日。
いよいよ焼き栗の時間がやって参りました。
詳しい作り方は知らない。我が家にトースターは無い。
とにかく、茹で栗を焼けばいいらしいので、アルミホイルを敷いたグリルに茹で栗を置いて、火をつけた。
6〜7分したところで飽きてきたのでアルミホイルごと取り出し、食べやすいよう切るために包丁を入れた。途端に、熱々の栗が爆(は)ぜた。栗、爆発。それは大袈裟だけど、粉々になった栗の実の破片が、切れ目を入れた方向に飛び散った。驚きの声が口を突いて出た。栗って、ほんとに爆ぜるんだ。(何かの昔ばなしで、栗が焚き火?の中で爆ぜる描写があったように思う)
5個ほど焼いてみたのだが、小爆発を起こしたのは2個くらいだった。
栗の中身が飛び散る程度で、硬い皮の塊が飛んでこなくてよかった。めがねにもしっかりと栗の破片が貼りついていた。
無事だった栗を食べてみると、たいへん美味である。これは明日の、最後の栗も楽しみだ。
木曜日。
昨日の出来事から学習し、ほぼ真っ二つに割るように包丁を入れてからグリルに投入する。
これなら爆ぜまい。
香ばしいにおいに浮かれながら、夕飯の支度を同時進行した。のがいけなかった。
夕飯づくりに時間がかかり、いい頃合いに焼けた栗たちは、グリルの中で放置されてしまったのだ。
さあさあ食べましょう、とまだやや熱を持った焼き栗にスプーンを差し込もうとするが、グリルの余熱で水分を奪われた栗は、あわれ、かちこちになってしまっていた。
それでも執念で固くなった実をほじり出し、供養のような気持ちも込めて、いただいた。
栗、一番おいしいタイミングで食べられなくて、ごめんなさい。
そういうわけで、「栗は熱いうちに食え」。
みなさんも、良い栗ライフを。