随に

まにまに

不妊検査

前に通っていた婦人科でも途中まで検査は受けていたので、重複する部分も多かったが、検査したのはだいたい以下の通り。

 

初回

基礎体温表(受診時に毎回提出)

・内診(エコーで子宮内部を診る)

・血液検査(健康状態・感染症クラミジア抗体・甲状腺・抗精子抗体・AMH(抗ミュラー管ホルモン))

 

2回目

・ヒューナーテスト(頸管粘液から一定数以上の運動精子がいるか確認)

 

3回目以降

排卵後5~7日前後での採血ホルモン検査(黄体・卵胞ホルモン)

・生理後2~3日目に低温気ホルモン検査(卵胞刺激ホルモン、黄体形成ホルモン、卵胞ホルモン)、TRH負荷テスト(プロラクチンの検査)

・精液検査

 

このころ、通院して初めてヒューナーテストも兼ねて、医師の指示でタイミングをとった(夫婦生活を持った)。

生理予定日の1~2週間前から、下腹部痛やらのぼせやら、精神的にも不安定になったりと、いつもと違う様子だったので、もしや、もしや、とネットで「妊娠超初期症状」などを調べたりしていたが、あっさりと生理が来て、期待していただけに落胆が大きかった。(ここ数年遠ざかっていた、月経前症候群が久しぶりに発現したようだった)

あまりこの時期のことを覚えていないが、前年秋に治療を終えた心療内科の薬を飲んだほうがいいのではないか?と思うほどに不調で、不妊クリニックの診察時に「薬を飲んでもよいか?」と尋ねたところ、難しい顔をされてしまった。

いわく、「心療内科の治療をしている間は、不妊治療はできない。心療内科を再受診して、不妊治療を許可する一筆を書いてもらってきてほしい」とのことだった。

専門分野が違うため、見るからに「悩んでます」を体現したように薬辞典と何分も無言で向き合っていた女性医師は、「自分では判断が下せない」とでもいうような自信のなさそうな顔をしていた。

診察後に採血をしたのだが、そこでも別の看護師?に心療内科のことを問われたので、面倒になって「薬は飲まないから、治療は続けたい」と言ったら、「それはダメ。必ず一筆もらってきて、提出してください」とダメ押しされた。

 

生理が来て心が弱っているときにこれは、かなりしんどかった。

引越していたので、心療内科に行くまでが遠い。

やっと卒業できたのにまた行かなければならない上に、不妊治療の許可を確実に得られるかどうかもわからない。

痛手を負っているのに、まだ歩けと言われているような苦しさがあった。

被害妄想だが、「病気の者は、妊娠する資格がない」とでも烙印を押されたような気がして、ひどく落ち込んだ。差別されているような気がした。

生理が来た日も泣いたが、この日も帰ってから泣いたような気がする(繰り返しになるが、ダメージが大きすぎてよく覚えていない)。

 

検査の繰り返しと精神的負荷でよれよれになっているところに、卵管造影の検査を申し込むことになった。

子宮に造影剤を入れて卵管の疎通性を見るこの検査は、厳密な注意事項がいくつも設定されていた。

予約の手順まで決められており、それを守らないとアウト。

だが、よれよれになっていたわたしは、その手順をことごとく近いところで外し、何度も予約できずに泣いた。不妊クリニックの受付の人は来院した時も電話でも、「規定ですから」と容赦がなかった。

ぼろぼろになってようやく予約することができ、いつもの不妊クリニックとは違う提携先の産婦人科で卵管造影をする日が来た。(設備の関係で、別の施設で行うらしい)

食事は2時間前までに、予約確定日から検査3日後までは性交渉禁止、検査後3日間は激しい運動禁止、検査前に点滴、検査後は3日間シャワーのみ、抗生物質の服用、同意書の提出など、決まりごとが多かった。

 

この検査はかなり痛いと評判だった。

卵管が詰まっていると、造影剤が通過するときに激痛を伴うらしい。

相当の覚悟を持って挑んだつもりだったが、この器具を使用します、と診察台に横たわったわたしに看護師さんが見せてくれたものは、女性の看護師さんが両手で持つほどの大きさで、鈍く光る、いかにも重量感のある金属製の器具だった。

「こんなにでかいものを?入れるのか?!」と心の中は動揺した。

 さらに、仰向けの態勢でやや足を開き、膝を曲げるように指示され、

「あまりの痛さで動いてしまう人もいますが、動くと撮影がうまくいかずに、やり直しになります。何度もやり直していると、心が折れてしまう人もいるので、なるべく動かないようにしてくださいね・・・」と看護師さんに言われながら、膝を押さえられた。

心が折れる自信があったので、動かないぞ動かないぞとかなり緊張して本番に挑んだ。

(看護師さんも始終膝を押さえていて、こちらが動かないか、若干緊張気味であったように思う)

医師が器具を挿入した際、うぐっとなるほどの強い痛みがあったが、造影剤の注入による痛みはほとんどなかった。器具がとにかく痛かった。

医師は「これは詰まってるなあ」と独り言のようにいいながら処置を進めていた。

「詰まっていたのか・・・」と思いつつ、動かないよう細心の注意を払い、撮影が終了。

 

その後、診察室で写真を見せてもらい、「左は造影剤で通ったが、右は詰まったまま」と処置をしたおじいちゃん医師に言われる。

「両方、詰まっていたのか・・・・・・・」

 左は通ってよかったとはいえ、右はまだ詰まっている。

どんな処置が必要なのか、手術でもするのか、通ったという左はまた詰まったりしないのか、と危惧はあったが、自分でも不思議なほど、気分は晴れやかだった。

 

避妊しなくなれば、すぐにでも妊娠できるだろう。

不妊の方は、そう思っていた人が多いらしく、わたしもその一人だった。

結婚式も新婚旅行もできなくなるから、と長らくきちんと避妊していた。

避妊をやめてからも、何度も何度も生理はやってきて、そのたびに落ち込まないわけがなかった。

しかし、卵管が詰まっていたのだ。

避妊せずとも、妊娠できないからだだったのだ。

なんだ!今までの苦労は何だったんだ?

途端に、なぜかばかばかしくなり、気分はスッキリとしていた。

詰まってたらそりゃあできないよ。しかも、今回片方でも通ったなら、可能性が広がったわけだ。

気分は高揚し、わたしはこれを文章にしたいとその時初めて思った。